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同和鉱業小坂線: 2101

同和鉱業小坂線は十和田湖の南西にある秋田県小坂町と奥羽本線の大館を結ぶ路線です。 ディーゼルカーの車体にはDO-WA、サボには花岡行きと記されていました。

小坂鉄道として旅客営業(22.3km、36分)と貨物輸送を行っていましたが、1994年6月30日に旅客営業が廃止され、現在は小坂製錬の専用貨物線です。

1979/08/28 小坂

サハシ165-9

急行佐渡(上野〜新潟)食堂車(6号車)で、食堂部分の冷房装置は特急電車と同じスタイルです。

当時の急行以上は短距離を除き、食堂車またはビュッフェが連結されていました。

現在の日本は外食産業全盛なのに新幹線でも食堂車がないのは、ちょっと不思議な気がします。

1976.04.01 新潟

JNR仙石線: クハ79607

この写真を見て、山手線の103系ATC車なのに冷房装置がなぜ無いの? と思われた方は国電通です。 良く見ると台車やパンタグラフは73系のもので、ドアには把手まであります。

実はこれが73系の究極の姿で、103系ATC車と同じボディを搭載した改造車です。 この600番台は103系3000番台に再改造され、現在は八高線と川越線で活躍しています。

1976/03/29 陸前原ノ町

JNR川越線: キハ35903

塩害によるボディの腐食防止を目的として、試作されたステンレス製のキハ35です。

恐らく海沿いに走る内房線や外房線などを意識したものでしょうが、海のない川越線にいたのは何故でしょうか?

1975/08/10 大宮

JNR山手貨物線: クモル24004+クモニ13030

当時はたまに見られた電車区などに資材を運ぶ配給電車ですが、クモル+クモニは珍しい組み合わせです。

クモル24004とクモニ13030は東京南鉄道管理局 品川電車区の配置でした。

クモニ13のみの編成は山手線などに1日数回運行されて、各駅に停まり新聞や雑誌などを鉄道弘済会の駅売店(現在のKIOSK)に配っていました。

1975/05/14 五反田

箱根登山鉄道: ?

ぱっと見には廃車解体中の車両に見えますが、枕木などを積んだ貨物電車です。

良く見るとポールを備えマスコンやブレーキ用の運転操作台もあるので、自力で走る車両です。

1975/02/05 入生田

東京駅: 7番ホーム中央階段

御影石の階段(写真下)に刻印された丸いマークは、東京駅の歴史を表わしているものです。

1930年(昭和5年)11月14日、浜口雄幸首相が特急つばめで岡山の陸軍特別大演習に向かう時、この場所で狙撃され翌年死亡する事件が起こりました。

この階段は新幹線改札口の大改装で廃止され、階段の初めを表す丸い金色のマーク、暗殺事件のプレートと大きなマークに変っています。

1974/12/14 東京駅





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